蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足に討たれたあの事件、「ムシコ(645)ロして滅んだ蘇我一族」という語呂合わせで覚えたアレは、昭和中期生まれの私の世代は「大化の改新」と習いました。
しかし今では暗殺事件自体は「乙巳の変」と呼び、大化の改新はそれ以降に行われた一連の政治改革のことを言うのですね。(ゆとり世代の息子に教わった)
さて、その「乙巳の変」で暗殺された蘇我入鹿を含む蘇我氏の邸宅があったと言われているのが甘樫の丘。とても景色が良いですよ、と石舞台の係員の方が勧めてくださいました。
おっしゃる通り、畝傍山・香久山・三輪山の大和三山や飛鳥寺、乙巳の変の舞台である飛鳥板葺の宮跡などを見渡す景色の良い場所で、展望台にはベンチも備えてあり、お弁当スポットにピッタリです(旅行者にとっては何処でお弁当を調達するかは若干の問題ですがね。ちなみに我々は麓にある飛鳥寺前の売店で古代米のおにぎりを購入しました。おいしかったですよ)
最近になってここに邸宅があったと思われる遺構がザクザクと見つかっており、どうやら蘇我氏の邸宅であることを裏付ける力強い根拠になっているそうです。
さらなる発掘が進めば、どれほどの大邸宅でどれほどの威容を誇っていたのかがわかるかもしれないですね。
でも復元とかはしないで欲しいなぁ。
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