得意の絶頂蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅の遺構も最近になって出土したらしい甘樫丘

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蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足に討たれたあの事件、「ムシコ(645)ロして滅んだ蘇我一族」という語呂合わせで覚えたアレは、昭和中期生まれの私の世代は「大化の改新」と習いました。
しかし今では暗殺事件自体は「乙巳の変」と呼び、大化の改新はそれ以降に行われた一連の政治改革のことを言うのですね。(ゆとり世代の息子に教わった)

さて、その「乙巳の変」で暗殺された蘇我入鹿を含む蘇我氏の邸宅があったと言われているのが甘樫の丘。とても景色が良いですよ、と石舞台の係員の方が勧めてくださいました。

おっしゃる通り、畝傍山・香久山・三輪山の大和三山や飛鳥寺、乙巳の変の舞台である飛鳥板葺の宮跡などを見渡す景色の良い場所で、展望台にはベンチも備えてあり、お弁当スポットにピッタリです(旅行者にとっては何処でお弁当を調達するかは若干の問題ですがね。ちなみに我々は麓にある飛鳥寺前の売店で古代米のおにぎりを購入しました。おいしかったですよ)

甘樫丘

左側が耳成山、右側が畝傍山

甘樫丘

畝傍山。アップにすると山すその優雅さがまったくわからない

lightroomのパノラマ合成を使ってみました

畝傍山のヒキ lightroomのパノラマ合成を使ってみました

甘樫丘

香久山。衣干したりの天の香久山ですな

最近になってここに邸宅があったと思われる遺構がザクザクと見つかっており、どうやら蘇我氏の邸宅であることを裏付ける力強い根拠になっているそうです。
さらなる発掘が進めば、どれほどの大邸宅でどれほどの威容を誇っていたのかがわかるかもしれないですね。
でも復元とかはしないで欲しいなぁ。

甘樫丘

奈良盆地が広がる

甘樫丘

桜井市方向。稜線のリズムが美しいです

甘樫丘

飛鳥寺方向

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東京在住50代、ウォーキング、御朱印集め、写真撮影と現像、70年~80年代の少女漫画(りぼん・別マ派)、中国語学習などが趣味。
遠くない将来に愛媛に移住して下宿屋と海の家を営みながら四国八十八か所巡りをしようと画策中。

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