広大なひばりが丘団地の跡地がマッドマックスみたいに、、、
2ヵ月ほど前、用事があって田無駅からひばりヶ丘駅に向かう西武バスに乗りました。
用事というのは関東36不動尊の田無不動尊をお参りした後実家に帰るっていうことなんですけどね。
そして、ひばりが丘団地付近を通った時、大げさに言えばドギモ抜かれましたよ。なんと、昭和の団地、ニュータウンの典型的な風景を見せていたひばりが丘団地が消滅して、マッドマックスさながらの荒野になっていたのです。
高度経済成長期の昭和34年、首都圏の中流意識の象徴のように誕生したひばりが丘団地周辺は、半世紀を経てただ今絶賛再開発中なんだそうです。私は東京オリンピックの年(第一回ですよ、もちろん)にひばりヶ丘に生まれましたが、私の地元はひばりヶ丘駅をはさんで反対側、住所も埼玉県になり、周りはあまり熱心さが感じられない畑と、その畑を造成した一戸建て中心の庶民的な住宅地でした。
そんな冴えない環境と住所の北口に比べ、南口にあるひばりヶ丘団地というのはちょっと垢抜けた存在でした。昭和40年頃は、ひばりヶ丘駅北口(埼玉側)には商店もそんなになく、母は駅を挟んだひばりが丘団地のスーパー(たしかセイフーチェーン)まで買い物に行っていたという話もおぼろげながら記憶に残っております。
そんなひばりヶ丘団地の様子が今「江戸東京博物館」で見ることができます。団地の一室を復元して当時の家財道具や家電も展示してあります。20世紀少年の「ともだちハウス」的なノリもあるこの展示を写真に撮ってきました。「なつかしいな」と思えるものあり、「いくらなんでもこれは」というものあり、中々楽しめましたよ。
江戸東京博物館の特別展示「ひばりが丘団地」
ダイニングキッチンと冷蔵庫。この冷蔵庫の曲線っぽさは50’sアメリカンみたいで、ちょっとしっくりこない気がします。システムキッチンは木目で、今でもイケそうな雰囲気。
テーブルの上にはバヤリース。柄のコップも70年代っぽいですね。でも欲を言えばプラッシーかリボンシトロンにしてほしかった。あと炊飯器(おそらくガス)の左隣はなんだろう?
テーブルとイスは私の実家でもこんな感じのを使ってました。ただ子供用のハイチェアは今っぽいな、、、
新聞紙濡らしてホコリが立たないようにしてこの箒で畳を掃きました。左奥に4本足と長いアンテナが付いたテレビが見えます。もう少し時代が下がるとテレビの足部分が何やら家具調になったような記憶があります。
今でも不動産の広告に「室内洗濯機置き場」という物件選びのこだわり条件があるけど、団地はベランダに洗濯機を置いていたのですね。詳しく観察はできませんでしたが、この洗濯機、ダイヤルが二つ付いてるってことは洗濯槽と脱水槽が一つになったものなのでしょうか?それとも右側についているレバーから察するに手回し脱水?いずれにせよこれも50’sアメリカンみたいなフォルムです。
トイレは水洗の和式。水洗トイレは団地の象徴ですよね。当時は私の周りでは水洗と言っても流した先が浄化槽で、浄化槽の中身をバキュームカーが汲み取りに来ていた記憶があるけど、団地もそうだったのでしょうか? ちょっと驚いたのは床がタイルじゃなくて木なんですね。
カラフルな木綿の紐を三つ編みにしたような玄関マットは私の家にもありました。バスマットにも使っていたような。
木の玉の暖簾も結構な率で家庭にありましたね。擦りガラスの入った建具も今では中々手に入らないものの一つです。このガラスが室内用なので結構薄くて割れ易かった(前科者は語る)。
昔はスイッチ式のブレーカーじゃなくて、右にあるような器具だったのを覚えています。確かヒューズって名前かと。なので「ブレーカー落ちた」じゃくて「ヒューズ飛んだ」と言ってましたね。東京電力のCMで「爪つきヒューズの交換はどうのこうの・・・」と説明していたことを何故かうすぼんやりと覚えています。
ひばりは英語でラークです
まったくの余談ですが、ファミレスの「すかいらーく」はひばりヶ丘発祥だそうです。なのでラークね。と書きながらもう一つ思い出した出来事が。
昭和の末期、ひばりが丘北口からずーーーーーっと奥地、バスで20分くらい行った畑の周りに「ラブホテル建設反対!」の看板が立てられたことがありました。その後住民の反対もむなしくかの施設は竣工されましたが、そのラブホテルの名前が「ラークヒルズ」。全然ひばりヶ丘から遠いんですけどなんでワザワザそんな名前に? と思ったなぁ、、、さらに看板がタバコの「LARK」のレイアウトに似ていたような・・・
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