最初は大手町は現在の将門塚の位置に創建された
神田神社一ノ宮のご祭神は大己貴神(オオナムチノミコト)です。大己貴神は大国主命(オオクニヌシノミコト)のことで、由緒によれば出雲出身で大国主命の子孫による創建とされています。創建当初は現在の大手町、三井物産の隣の将門塚のあたりにあったそうです。現在でも将門塚にはアレコレ都市伝説がありますが、鎌倉時代にも「将門のたたり」的な災厄が庶民を不安にしたので、延慶2年(1309)にその霊をなぐさめるべく平将門もこの神社に合祀されました。
「天下祭り」といわれた神田祭の2015年レポートは遷座400年記念の神田祭で12年ぶりの船渡御を見ることができたをご覧ください(2015/5/14アップ)
江戸城の鬼門に遷座し、お江戸総鎮守に
時は下って江戸時代、幕府は江戸城の鬼門(丑寅=北東)にあたる現在の場所を領地として与え、社殿を造営しました。以来、幕府から庶民まで世界一の大都市であった江戸の総鎮守として崇敬を集めました。当アカジンジャーナルで東京十社は東京の結界なのか? という記事を書きましたが、少なくとも神田神社に関してはまさしく東京の結界と言えそうですね。
ちなみになぜ「神田明神」と呼ぶのかについては、中世から近世にかけて神社を「明神」や「権現」と呼ぶ習慣があったそうなので、それが現在に至り本名より通り名のほうが有名になったのでは、と推測します。
2014年11月に訪問したときには、社殿の屋根を葺き替えるための寄進を募集してました。こちらの屋根は瓦形の銅でふかれていて、現在は緑青が出ている状態ですが、この葺き替えが済んだら金ぴか(銅ピカ?)屋根の社殿を是非見に行きたいものだと思いました。
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