日本初の世界遺産である法隆寺は言わずと知れた推古天皇と聖徳太子による建立で、日本最古の木造建築(五重塔と金堂)。回廊に囲まれた五重塔は、その渋いたたずまいに圧倒されます。法隆寺が建った頃、庶民は竪穴式住居とかに住んでいた人もいたでしょうから、この五重塔を見て、どう思っていたんでしょうね。
貴方を守り叶える
究極の開運ツールをご紹介!
ただし、今回私が一番印象的だったのは中門を守る仁王像でした。この金堂力士像は法隆寺創建当時のものではなく奈良時代(711年)の作で、それでも現存する日本最古の仁王像です。元々の体色は阿型が朱、吽型が黒でした。
何というか、ポーズが良いのですよね。躍動感というか、伸び伸びしたものが感じられて、でも作為的でないというか。
ただ、後日調べたところによると、さすが1300年の間その御役目として外気にさらされ境内を守ってきたため、さしもの仁王様でも創建当時の姿を留めることは難しく、後年修復が重ねられたそうです。
元々塑像(粘土づくりの像)で、赤の阿形像は後年粘土を上から重ね塗りすることで、吽形像は16世紀に顔以外が木彫りに変られたそうです。
こちらは阿形の仁王像。補修作業として粘土を塗り重ねていっただけあって、ドッシリギッシリと身が詰まったような圧倒的な質量を感じます。特に型から背中にかけてのムッチリとした感じが良いです。
こちらは吽形の仁王像。腰のひねりと右手の上げ具合、左右の肩の上下左右のバランス。たったいま天からおりてきて「ただいま参上!あたしが来たからにはこっから先この中に悪いものは入れませんからお任せあれ!」と決めポーズを取ったような感じです。
さらにこの中門は、人が出入りする場所でありながら、ど真ん中に柱が建っていることでも有名です。聖徳太子の怨霊が外に出るのを防ぐためとかの噂もあるそうです。
この中門の柱をはじめ、回廊の柱は下から上に向かって徐々に細くなる「エンタシス」という形で、見上げるような巨大建築物に用いると安定感をもたらすデザインだそうで、ギリシャのパルテノン神殿の柱もエンタシスです。
金堂に安置される釈迦如来坐像は飛鳥寺と同じ止利仏師の作で、アーモンド型の瞳とアルカイックスマイルに加え、裳掛座と言われる台に布を掛けたスタイルの台座の裳裾が流れる様子が特徴的です。
さて、タイトルにもある御朱印ですが、墨書きが「以和為貴」。有名な十七条憲法の第一条冒頭の一フレーズです。
ちなみに、第一条の全文は
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
だそうです。簡体字だと
一曰、以和为贵、无忤为宗。人皆有党。亦少达者。以是、或不顺君父。乍违于邻里。然上和下睦、谐于论事、则事理自通。何事不成。
人はそれぞれ寄って立つところがあり、完璧な人は少なく、目上の者の言うことを聞かなかったり周囲に異を唱える人もいるけれども、全ての人と和平的に接して逆らわないことを心がければ、思いは通じ、どんなことも成し遂げられる(アカジン訳)
そして「以和為貴」 の墨書きのある御朱印をいただいた瞬間、私の頭の中の音楽プレーヤーが、レキシの「憲法セブンティーン」を永久ループで奏で始めてしまったのです。あのカッティング(?)の、EW&Fを彷彿とさせるイントロが鳴りだし「和を以て貴しとナス・・」のフレーズが延々と。
モチロン帰るころの脳内プレーヤーは「妹子なう」に変わったことは言うまでもございません。
Don’t back to 飛鳥、飛鳥、飛鳥、、、 荒波に乗ってJourney to the stars。。。
法隆寺データ
- 名称 法隆寺
- ふりがな ほうりゅうじ
- 住所 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
- 宗派 聖徳宗総本山
- 本尊 釈迦如来
- 公式サイト http://www.horyuji.or.jp/
- 札所 南都七大寺7番、神仏霊場巡拝の道第26番
- 別名 斑鳩寺
パンフレット
御朱印
奈良旅行の記録はこちらをご覧ください
鹿だけじゃない。巨大仏像をオナカいっぱい堪能してもまだまだ見きれない奈良旅行2泊3日=一日目
鹿だけじゃない。巨大仏像をオナカいっぱい堪能してもまだまだ見きれない奈良旅行2泊3日=二日目
コメント