家宣・家継編の特徴は、将軍にあまりスポットが当てられていない事でしょう。これは二人の将軍の就任期間があまりにも短すぎたからなのではなく、左京や江島のお相手が将軍ではなかったのが理由なのでしょう。
ただ、第一巻で「あまりにも」な家宣のビジュアルが改善されていて何故かホッとしました。(でも大柄で病弱感が薄いような、、、)
さて、将軍に代わって家宣・家継編の主役となっているのが左京と江島です。二人ともそれぞれの理由から自分にはまともな恋愛や幸せはないものだと思っていましたが、それでも恋をします。そしてその恋が大奥最大のスキャンダルの一つである「絵島生島事件」に繋がってしまいます。
今回はまず、家宣・家継編の主な登場人物のフィクションとノンフィクションを挙げてみます。
江島生島事件については、別項でご紹介しています。

よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=家宣・家継編②江島生島事件=
今回のテーマは、家宣編から「江島生島事件」。その名の通り主人公は江島と生島。大奥史上もっとも有名なスキャンダルです。 ...続きを読む
よしながふみ作「大奥」家宣・家継編の前半は第6巻に収録されています。
登場人物別フィクションとノンフィクション
徳川家宣(とくがわいえのぶ)徳川第六代将軍
モデルは徳川綱豊→徳川家第六代将軍家宣
史実をなぞっている部分(らしい部分も含めて)
- 正室(近衛熙子)との間に一男一女をもうけたがいずれも早世してしまった
- 父(甲府宰相綱重)が19歳(結婚直前)の時の子、その母は女中で身分が低いため家臣の養子に出され、徳川を名乗ることを許されなかった。後に綱重に他の世継ぎがなかったため、甲府徳川家に呼び戻され家督を継いだ。ただしよしなが大奥ではフィクションの部で示す通り史実の家宣より年齢を若くしてあるので、結婚前に作った子とまでは言及せず、単に「母が使用人と火遊びしてできた子ども」と述べるにとどまっている。
- 英明で慈悲深い君子といわれた
- 生類あわれみの令を廃した
フィクションの部分
- 史実の家宣より10歳ほど若い設定になっている(史実は51歳没、よしなが大奥では42歳没)。千代姫(家継)の出産時期を考慮したものと思われる。
- 世継ぎの家継が生まれる前に三人の子を産みいずれも早世か死産となっている(うち二人は御台所との間の子)が、実際はお喜世の方(月光院)の他の二人の側室との間に計3人の子が生まれている(いずれも早世)ので、実際の子は6人。
- 自分の跡継ぎについて、尾張徳川家の吉道を家継(千代姫)を後見させるか、繋ぎの将軍に入ってもらうか等の相談を間部にしているが、史実ではこの相談は新井白石に向けてのものだった。そして新井白石が家宣の出したどの案も反対した。
勝田左京(かつたさきょう)→左京→月光院
モデルは徳川家宣側室のお喜世の方→左京の局→月光院
史実をなぞっている部分(らしい部分も含めて)
- 父親は勝田玄哲という元加賀藩士の僧侶(浅草の寺)
- 江戸っ子でさっぱりとした気性であったという
- 間部詮房とは深い仲だとのうわさがあった。
- 幼い将軍家継が、乳母に「間部はまるで将軍のようだ」と言ったという伝聞が、形を変えて登場している。よしなが大奥では、家継が幕臣土屋政直に「父上と間部が大奥で一緒にいると、まるで父上と母上のようだ」と言い、それを聞いた土屋は間部と月光院の仲を怪しんだことになっている。
フィクションの部分
- 史実のお喜世の方より3歳ほど年上の設定
- 家宣の屋敷に上がった理由(怪我しているところを助けられ云々)はもちろんフィクション。史実は、家綱の乳母矢島局の養子である旗本矢島義充の養女として甲府家の桜田御殿にあがった(側室としてではないらしい)、親との道ならぬ関係などのウワサはない。
- 本名は勝田輝子。側室になってからはお喜世の方、家宣に従って江戸城西の丸に移るときに名を左京とし、左京の局と呼ばれた
近衛國熙(このえくにひろ)→天英院
モデルは徳川家宣正室の近衛熙子→常子→天英院
史実をなぞっている部分(らしい部分も含めて)
- 甲府宰相時代に比べ、江戸城に入ってからは家宣と接する機会が減ってしまった。
- 家宣死去後も影響力を持ち、それは表向き(政治方面)のことにも及び、8代将軍には吉宗を推していた。それは吉宗の考え方が家宣に似ていたからだという。
フィクションの部分
- 熙子は結婚前の名前で、結婚にあたり常子と名を変えている
- 史実では家宣より4歳ほど年下だが、よしなが大奥では家宣が史実より10歳ほど若い設定になっているので、天英院も史実より若いと思われる。ただし、江戸城本丸に入ったときには35歳を過ぎている(お褥すべりを迎えている)ので、史実より5歳ほど若い(よしなが家宣と同じくらい)と思われる。
間部詮房(まなべあきふさ)=おふさ
モデルは徳川家宣側用人間部詮房
史実をなぞっている部分(らしい部分も含めて)
- 甲府家の家臣の子供で、容姿端麗なので猿楽師に弟子入りした。
- 仕事熱心で家にはほどんど帰らなかった。そのため家宣との関係を噂された。
- 家継は将軍就任時は幼かったので大奥に住んでいて、朝間部が迎えに来て夕方送っていった=大奥に出入りしていた
フィクションの部分
- よしなが大奥の中で、間部の年齢は明らかになっていないが、実際の間部は家宣将軍就任時には43歳。よしなが大奥では家宣の年齢も実際より若く、さらに間部の容姿の描き方から実際より10才以上若い設定に直したと思われる
- よしなが大奥で、間部は生涯独身の設定になっているが、史実では妻と子供(女子)がいた。家は弟を養嗣子にして継がせた。
その他のフィクションとノンフィクション
史実をなぞっている部分(らしい部分も含めて)
- 土屋政直は4人の将軍に仕えた。側用人政治に反対していて新井白石と間部詮房に含むところがあり、家継の後継は吉宗派だった。
年表
家宣・家継時代については、こちらもご覧ください。

よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=家宣・家継編②江島生島事件=
今回のテーマは、家宣編から「江島生島事件」。その名の通り主人公は江島と生島。大奥史上もっとも有名なスキャンダルです。 ...続きを読む
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