東京湾に面した江東区は、埋め立てにより現在もその面積をガンガン増やしている地域であります。現在もまだ平成8年に埋め立て完了した中央防波堤埋め立て地についてその帰属を大田区と係争中で、未だ決着はついていない模様であります。これについて、江東区のサイトにかなり強い口調で
「江東区は東京都のゴミ処理場を一手に引き受けてきた。そんな犠牲を払った江東区なんだから、新しい埋め立て地はゼッタイ江東区に帰属させるべき」
的な内容が書かれています。http://www.city.koto.lg.jp/kusei/keikaku/83721/
江東区の埋め立ては江戸時代から始まりました。門仲の町は江戸時代に埋め立てられた場所、そして幕末の海岸線が今回ご紹介する汐浜運河です。
で、紹介記事を書こうと思ったら面白いことに気づきました。
汐浜運河南側の住所は江東区塩浜、そして運河沿いに設けられた遊歩道は「潮風の散歩道」。
シオという漢字の種類の豊富さを誇示するかのようなバラつき感に、ついノセられてちょいと各シオについて調べてみると・・・
塩・・・調味料の塩、物質としての塩
汐、潮・・・ ①月や太陽の引力によって周期的に起こる海面の昇降。②海水。また、潮流。海流。
じゃあ汐と潮の違いは何なのかってよくよく字を見てみたら、ツクリが朝と夕になっていて、その名の通り潮は朝のしお、汐は夕のしおでした。潮汐とも言い、読み方は「シオシオ」ではなく「チョウセキ」です。
ちょいと横道にそれますがこの際だから江東区塩浜と、汐浜運河と、潮風の散歩道のそれぞれの命名についてもう少し。
江東区塩浜の地名
江東区塩浜の町名がついたのは昭和43年4月1日のこと。住居表示制度の実施に伴って該当区域のそれまでの町名、浜園町と塩崎町から一字ずつとってつけられました。
浜園町・塩崎町とも明治末期からごみの埋め立てによって作られた場所で、大正10年に埋め立は完了しました。江東区の埋立地は、陸続きに埋め立てるのではなく、元の陸地から少し離したところを埋め立てて埋立地と元の陸地の間に水路を作るという方式が多く、この塩浜の地もその例外ではありません。
四方を運河に囲まれているので、ある意味島と言っても過言ではないですね。
汐浜運河
汐浜運河については、本来塩浜の町名にちなんで塩浜運河なるべきところ、実は同じ東京湾の川崎に塩浜運河がすでにあり、同名をさけるため汐の字を使ったのでは?というのが私の予想です。だったらなぜ「潮浜」にしなかったのかというギモンは解決しませんがね。
汐浜運河と川崎の塩浜運河の命名時期や理由をちょこっとネットで調べてみたのですが、どちらも調べきれませんでした。どなたかご存知の方がいらっしゃったらご教示お待ちしております。
潮風の散歩道
そして潮風の散歩道は、「潮風」という単語がこの字を使うしかないから、としか考えられません。塩風って言葉もないしね(塩風に吹かれたら眼とかシミちゃって想像しただけでツラそう・・・)。
だったら「海風の散歩道」とか「運河の散歩道」とかつければ良いのに、というのは余計なお世話なのでしょうね。
さあ、そろそろ本題に行きましょう。「潮風の散歩道」をご紹介します。
潮風の散歩道は東西1.2キロの東西に流れる塩浜運河沿いの道で、第一の目的は高潮対策だそうです。
西端は三つ目通りの汐浜橋下から、東端は汐浜運河の終点で曙北運河の起点まで、そしてそこから直角に曲がって汐浜運河の東端から直角に伸びる曙北運河沿いに塩浜通りが曙北運河を渡る橋のたもとまで少しだけ伸びています。
小名木川や大横川などの江東区の内部河川に比べ、潮風という名が示すように海っぽさ、埋立地っぽさが濃厚で、コンクリートの掘っ立て感が否めないのが正直な道です。
区の紹介ページなどでは1.2キロとありますが、曙北運河のたもとまで実際歩いた道のりをキョリソクで計ったら2.8キロありました。
これは実は私が潮風の散歩道の北側を歩いたからで、潮風の散歩道の北側は汐浜運河に流れ込む大横川南支川の河口で一旦途切れてしまうからです。そのため、大横川南支川の河口に到達すると一旦陸側に回って大横川南支川最下流にかかる橋を渡ってまた潮風の散歩道に戻るというルートを取らなければなりません。
大横川南川支川の最下流の橋、西須崎橋を渡ります。
西洲崎橋を渡ったら、また南下して潮風の散歩道に戻ります。
運河の向かい側には「深川第八中学校」がありました。屋上の柵の形状がなんだか船っぽいのは気のせいでしょうか?
そしてこの深川第八中学の前には船を停める場所があって、何だかについて警戒しているみたいです
この道には500本(一説には180本とも)のハクモクレンが植樹されて、毎年3月半ばには真っ白でふっくらした花をつけるそうです。ハクモクレンって潮風には耐性あるのかな?
広々とした運河の道はやがて直角に曲がります
直角に曲がって曙北運河沿いに少しだけ潮風の散歩道は続きますが、間もなく塩浜通りにかかる新砂橋のたもとで終点です。
この後、塩浜通りを東に進んで明治通りとぶつかったところを左折、北上して東西線の南砂町と東陽町の間に行きました。その距離は1キロ強でしたが、だだっぴろい荒野にただ一本明治通りが伸びてトラックがビュンビュンかっ飛んでいる道は、やけに寒々と長い距離に感じたのでありました。
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