よしなが大奥での牧野事件は、
という筋書きになっています。そしてこれは綱吉や柳沢のキャラクターを印象付けるエピソードとして綱吉編の冒頭に置かれています。桂昌院や幕臣にスポイルされ、足掻き、無力感にさいなまれていく綱吉の姿を予感させるものでもあります。
牧野成貞事件は大奥4巻に掲載されています
しかし綱吉編の冒頭のインパクトといえば、やはり綱吉のビジュアル。エクステをつけたようなまつ毛にぷっくりクチビル。髪型もあんみつ姫風吹輪から尾長、灯篭鬢と変化し、楽しませていただきました。髪型や服装については、また記事を改めて書きたいと思います。
さて、話を牧野成貞事件に戻します。このエピソードの元になった史実と噂を整理してみます。
牧野夫妻に関する史実
牧野成貞は綱吉が館林藩主になる(分家する)前から綱吉につかえていました。
一方、妻の亜久里は元々桂昌院の侍女で、桂昌院の勧めで成貞と結婚しました。結婚後、二人の間には三人の娘が生まれます。この間に成貞は館林藩の家老を拝命し、綱吉が将軍に就任後、側用人となります。
成貞には息子がいなかったので(しかし70過ぎに息子ができたらしい)、次女の安が婿=牧野成時を迎え養子になりました。
エピソードの元となったウワサ
元々桂昌院につかえていた亜久里は綱吉とも顔見知りだったのでしょう、このころから綱吉は亜久里に思し召しがあったとの説もあります。
綱吉と亜久里の関係については綱吉が牧野に亜久里を差し出すようにゴリ押しし、その見返りとして加増を受けた、さらには亜久里だけでは飽き足らず、次女の安まで大奥に入れたので、婿の成時が絶望して(あるいは綱吉に抗議して)自殺した、というのがゴシップの大方の内容です。これが作品に採用されています。
そして、
- 亜久里は綱吉の最初の男だった
- 事件に病んでしまった成貞が隠居してしまった
- 事件は柳沢吉保の謀だった
これはよしなが大奥のフィクションです。また、これらの事件が起こったのも史実はもう少し先です。
史実と比べた年表はよしなが大奥のフィクションとノンフィクション=綱吉編=をご覧ください

その他、綱吉時代のよしなが大奥についての考察


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