思ったよりデカい紀伊半島をひたすら南下し、熊野三社めぐり一泊二日の旅へ

旅行

紀伊半島南端は沖縄より、グアムより遠いのです。

週末を使って一泊二日で熊野三社に出かけることになりました。もちろん熊野古道もできるだけ歩きたい。ということでプラン開始です。

そしたら熊野は東京から予想以上に遠いことが判明しました。

新幹線で名古屋まで行き、特急ワイドビュー南紀に乗り換えるのが電車ルートの定番。しかし、このワイドビュー南紀で名古屋から新宮駅までなんと3時間半!! 東京→名古屋の乗車時間を入れると5時間かかるんです。ヨユーで石垣行けちゃいますよ。
東海と近畿の間なんで、名古屋から1時間くらいで行っちゃうのかな?なんて軽く考えていたらとんでもない。紀伊半島ってでっかいんですね。

飛行機だと南紀白浜空港が最寄となりまして、羽田から1時間20分、空港から高速バスに乗って熊野本宮まで1時間半の計3時間弱。これがANA便だったらANAの陸マイラーな我々は飛行機で行ったでしょうが、残念ながらJAL便が一日3便しかないので(しかも空港から熊野本宮行きの直通バスは一日一便)名古屋経由電車の旅にしました。

一泊二日の旅ですから、時間を有効に使わなければなりません。そこで東京駅発、始発の新幹線に乗りましたよ。6時発です。こんなに人が少なくて電車が停まってない新幹線ホームは初めて見ましたね。

こんなに人のいない東京駅って珍しい

こんなに人のいない東京駅って珍しい

名古屋で8時5分発の「ワイドビュー南紀」紀伊勝浦行に乗り換え。風の噂にこの「ワイドビュー南紀」は最長乗車時間が3時間半にも関わらず、車内販売も自動販売機もないとの情報を耳にし、新幹線で駅弁をガッツリ食したにも関わらずヘンな強迫観念にかられて駅の売店で多少の食料を仕入れてしまいました。

世界の山ちゃん、手羽先濡れ煎餅

世界の山ちゃん、手羽先濡れ煎餅

ワイドビュー南紀はその名が示す通りワイドなウインドウからビューが楽しめる車両。比較的フラットな車窓でした。

ワイドビュー南紀。黒い車体はカッコイイけど撮影は難しい。

ワイドビュー南紀。黒い車体はカッコイイけど撮影は難しい。

ワイドビュー南紀の車内

ワイドビュー南紀の車内

今夜のホテルはこの電車の終点である紀伊勝浦駅近くなので、まずはホテルに荷物を置くことにします。紀伊勝浦駅に到着した時点ですでにほぼ正午。

本日の予定はバスで那智駅まで行き、補陀落山寺にお参り後、「曼荼羅のみち」というハイキングコースを経て熊野古道を通り、熊野那智大社に向かうというもの
http://www.nachikan.jp/kumano/kodowalk/kodowalk-daimonzaka-2/
こんな感じのコースです。

ホテルに荷物を置いて、バスの時間まで紀伊勝浦の町や生鮮マグロ水揚高日本一の「勝浦漁港にぎわい市場」などをウロついてみました。市場は時間も時間なので既に人の姿はなく、のんびりした雰囲気でした。でも毎週日曜には朝市が催されるそうで、よし、明日の日曜朝にどれだけにぎわっているかこの目でシカと確かめてみようじゃないのと決めました。

対岸には大規模旅館が立ち並ぶ

対岸には大規模旅館が立ち並ぶ

紀伊半島南部らしい地形

紀伊半島南部らしい地形

清潔感のある商店街ですが、人通りはほぼ皆無

清潔感のある商店街ですが、人通りはほぼ皆無

勝浦漁港

明日の朝、どのくらい賑わうか楽しみです

紀伊勝浦駅前で熊野交通(バス)の「熊野交通フリーきっぷ」を購入。3日間有効で3000円也。
那智駅に向かうバスに乗ります。

紀伊勝浦駅から出発する観光バス。レトロで見た目は良いけれど、山道を走るんですよね?

紀伊勝浦駅から出発する観光バス。レトロで見た目は良いけれど、山道を走るんですよね?

那智駅前にある「熊野那智世界遺産情報センター」に情報収集&御不浄に寄ったら、サッカー日本代表&なでしこのサインユニフォームやサインボールが展示してありました。

なでしこJAPANのサインユニフォーム

なでしこJAPANのサインユニフォーム

那智駅前交流センターそーいえば、なでしこの皆さんは、先のワールドカップで優勝した記念に、熊野筆の化粧筆セットもらって、熊野筆がちょっとブームになりましたね。私も記念に買おうかな?と少しだけ思ってみたりする(けどきっと買わないだろうとも思っている)。

再現ながら割と胸にぐっとくる補陀落渡海船

駅から徒歩数分で補陀落山寺に到着。ここの境内も世界遺産です。極楽浄土に渡るため捨て身で海に出た捨て身行の一種である補陀落渡海。境内にあった渡海船のレプリカを見ると、何ともいえない気分になりました。

復元された補陀洛渡海船。小屋周辺の四つの鳥居は「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる

復元された補陀洛渡海船。小屋周辺の四つの鳥居は「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる

補陀落山寺を出て那智山方面にしばらく大きな道路を歩きます。川に沿ってしばらく歩くと「曼荼羅のみち」に入る目印が控えめに立っています。そこから森の中の細道に入りました。
人っ子ひとりいない道に若干の不安を覚えながらフェトンチットとマイナスイオンを浴びながら軽いアップダウンを進みます。途中尼将軍供養塔などを眺めながら大門坂。ついに熊野古道です。杉の巨木に護られた階段をひたすら登って那智大社へ。
前半の「曼荼羅のみち」序盤がいかにも自然たっぷりな道だった反動か、熊野古道は整備された参道という雰囲気でした。大門坂の入口に平安衣装を着た人(おそらくレンタル衣装で写真を撮りましょうと呼びかける人)がいて、観光地感もありました。

那智駅から熊野那智大社までは7.4キロの道のりでした。

話は戻りますが、補陀落山寺を出た直後に3人連れのおねえさんグループに道を聞かれまして、我々も不案内だったので「まっすぐでいいと思いますよ」とテキトーに答えながら彼女たちを追いぬいて歩いて行ったのですが、大門坂で件のお姉さんグループが先着していてびっくり!。ハイキングコースじゃなくて大きな道を歩いて我々より早く到着したのか?見た所我々より優に1廻り以上のお姉さんグループより歩くの遅いとしたら結構なダメージだな、恐れ入りながら話しかけてみると、彼女たちはバスで大門坂の麓までいらしたそうです。ホッ。

熊野那智大社、青岸渡寺にお参りをして、那智の滝を見ながら石段を下り、那智の滝のバス停から那智駅へ向かうバスに乗り本日の日程は終了!

社殿

熊野那智大社社殿

青岸渡寺

青岸渡寺

那智の滝

那智の滝

補陀落山寺、那智大社、那智の滝については熊野古道を歩いて神域に至る過程を味わえる熊野那智大社をご覧ください。

にぎわい朝市は結構にぎわってました

2日目、前日の誓い通り朝食後に勝浦漁港にぎわい市場の朝市をひやかしに。そしたらホントににぎわってましたよ。
そして並べられたマグロを狙うカラスがハンパなかったです。刃物持ってるイカツい市場のお兄さん方にも怯むことなくマグロを狙って急降下。でもきっとマグロって皮固いし、狙ったところで食べられないと思いますけどねーー

市場に並べられたマグロ

市場に並べられたマグロ

小ぶりながら迫力あるツラガマエのマグロ達

小ぶりながら迫力あるツラガマエのマグロ達

漁港に停泊中の漁船。イカ釣り?

漁港に停泊中の漁船。イカ釣り?

干されながら売られているイカの一夜干し

干されながら売られているイカの一夜干し

おいしそうに湯気をあげるカマ焼き

おいしそうに湯気をあげるカマ焼き

お寿司やカマ焼きなど、すぐにここで食べられる

お寿司やカマ焼きなど、すぐにここで食べられる

朝食を食べた直後にも関わらず、マグロのお寿司食べちゃいましたよ。

熊野速玉大社、熊野本宮大社へ

この日は電車で新宮駅へ。まずは駅から徒歩圏内の熊野速玉大社へお参り。午前中とはいえ日曜日なのにびっくりするほど空いてました。
熊野速玉大社は朱塗りの鳥居や社殿が鮮やかで、壮麗な印象でした。

熊野速玉大社
詳しくは朱塗りの壮麗な社殿が本宮と対照的な熊野速玉大社をご覧ください。

速玉大社前のバス停でバスを待って、いよいよ本宮大社へ。バスに乗って新宮の町はずれまで出てトンネルをくぐりると、地方都市の風景からガラっと雰囲気が変わります。くねくねとした熊野川は河原がものすごーく広く(水が少なかっただけ?)山に囲まれた川にしてはめずらしい風景だと思いました。

我々が乗ったバスは急行バスではなく普通の路線バスだったので、途中いくつかの集落を回りながらクネクネと山道を登っていきます。

そして本宮大社が近づくと再度雰囲気は一変、観光地っぽい装いになります。境内の前にはお食事処やお土産屋さんが立ち並び、たくさんの人が歩いていました。速玉大社はあんなに人が少なかったのに、この人たちはどこから来たんでしょうね?

熊野本宮大社

熊野本宮大社についてはかつては熊野川の中州に鎮座していたという熊野本宮大社をご覧ください。

帰りのバスを待つ間、熊野本宮大社の道を挟んで向かいにある「世界遺産熊野本宮館」で見学&休憩&御不浄を拝借したときに、熊野三社の社印をモチーフにした手ぬぐいが目に入りました。軽くてかさばらないお土産として実はこっそり手ぬぐい収集もしている私は、近くにいた人に「これは何処で買えるのですか?」と尋ねてみました。すると、これは売り物ではなく熊野那智大社・熊野速玉大社・熊野本宮大社・青岸渡寺のスタンプラリーをコンプリートした人への記念品なんだそうです。ええ?知らなかったよ。でも私は三社コンプリートしたんだけどな。と物欲しそうな目で係員さんを見つめると、「写真など証拠になるものがあれば良いですよ」とフトッパラなご提案。
そうそう!あたし御朱印あるのよ、御朱印。スタンプなんかより10000倍確かな証よね。

かくして無事非売品の手ぬぐいをGET!ご利益ご利益っと。

ちょっと痛快な徐福伝説が残る徐福公園

熊野本宮大社から新宮駅にバスで戻り、駅の近くにある「徐福公園」へ。

極彩色の立派な楼門。公園とは思えない

極彩色の立派な楼門。公園とは思えない

徐福は中国秦時代、万里の長城を築いた始皇帝に仕えていました。巨大な権力を得た後、不老不死を望んだステレオタイプの権力者始皇帝に「東に蓬莱山という山があり、そこに不老不死の薬草がある」と吹きこんで、それを探しに行くとして始皇帝から資金や船や人材を要求し3000人で蓬莱山を目指して船出しました。
しかしそれは圧政からのエスケープだったのです。
この後徐福は実際に船出したとかしなかったとか言われていますが、新宮に残る徐福伝説では、徐福一行は熊野新宮にたどり着き、この地を永住の地と定め、農業や漁業、手工業などの技術を伝えたとされています。

現在公園の中には徐福の墓があり、これは江戸時代に紀州徳川家初代藩主徳川頼宣が建立しました。公園入口にある中華風のごく彩色の立派な楼門は20年ほど前の建築です。
私はなぜかこの売店で小ぶりの蓋碗を買ってしまいました。丁度家で使っている蓋碗が欠けちゃったものでね。

公園内の池に泳ぐ黄金の鯉。性格はアグレッシブ

公園内の池に泳ぐ黄金の鯉。性格はアグレッシブ

徐福の墓

徐福の墓

ちなみに徐福伝説は佐賀県佐賀市、三重県熊野市波田須町、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡市などにもあり、さらには旧約聖書に書かれているイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族のうちのひとつヨセフではないかという説もあるそうですよ。

三時間半の呪縛に備え一路東京へ

さて、これにて一泊二日の熊野三社めぐりは終了。しかし「遠足は家に帰るまで遠足」なのであります。ここからまた5時間の電車の旅が待っております。
という訳で、駅前にあるその名も「徐福寿司」で熊野牛を巻いたのり巻きと、海苔の代わりに昆布で巻いた太巻き「昆布巻」を包んでもらい、出来上がるまで店内でマグロのシビをつまんで一杯。ウォーミングアップを済ませた所で駅の売店でお酒も買い込み一路帰路に着きました。

新宮駅にて。パンダが乗車した電車を発見!

新宮駅にて。パンダが乗車した電車を発見!

今回、熊野古道はサワリだけしか行けなかったので、再度じっくり挑戦したいところであります。

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東京在住50代、ウォーキング、御朱印集め、写真撮影と現像、70年~80年代の少女漫画(りぼん・別マ派)、中国語学習などが趣味。
遠くない将来に愛媛に移住して下宿屋と海の家を営みながら四国八十八か所巡りをしようと画策中。

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