よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=家重・家治編=

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これまで、史実とよしなが大奥を比較して、登場人物やエピソードをフィクションとノンフィクションに仕訳して年表を作ってきましたが、どうやら10代将軍家治のあたりに来て年表づくりが行き詰ってしまいました。

よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=吉宗編=にも書きましたが、9代家重ならびに田安宗武は、史実だと吉宗の紀州藩主時代に生まれていますが、よしなが大奥では将軍になってからの子供です。なので家重は史実の年齢より6歳ほど若い設定です。そしてよしなが大奥に取り入れられている家重時代の設定は次の通りです。

よしなが大奥に生かされている設定

徳川家重(とくがわいえしげ)徳川第九代将軍

モデルは徳川家第九代将軍家重

  • 幼名長福丸→福姫
  • 言語が明瞭でなく、その言葉を聞き取れたのは側用人の大岡忠光だけだった。
  • 頻尿と尿漏れがあったせいで庶民から「小便将軍」と揶揄された。
  • 大酒のみだった
  • 家重の正室は比宮増子、家重の子を身ごもったが流産のあと他界してしまった。
  • 田沼を側用人にするように、家治に遺言した
  • 将棋が得意だった

お幸の方(梅渓)

モデルは家重側室で徳川家治生母のお幸の方→至心院

  • 梅渓前権中納言道条の娘。作中では御簾中付上臈名「梅渓」は苗字から、本名「守幸」から「お幸の方」と名付けている。
  • 御台所付お中臈として一緒に京都からやってきて、比宮の死後将軍付中臈になった
  • 家重との間に生まれた子は10代将軍家治になった
  • 新参の側室(お遊ともお千瀬とも)が家重との間に子を成したので確執があり、二人の寝所に乗り込んで行った。これが元で座敷牢に入れられたが、それを知った吉宗が家重をいさめ牢から出された。その後家重の訪れはなく、自分の子供(家治)が将軍になる前にひっそりと亡くなった。

徳川(田安)宗武(たやすむねたけ)

モデルは徳川吉宗の次男で田安家初代当主の田安宗武

  • 聡明で学問を好み、14歳で元服したとき、吉宗の前で論語20篇をスラスラ暗唱した。
  • 老中松平乗邑は宗武を吉宗の後の将軍に推していた
  • 自身も将軍就任を望んでいたため、家重の欠点を列挙して諌奏した。

そして、家重→家治時代に田沼意次が登場します。よしなが大奥で描かれている家重と田沼の外見からして、史実より6歳ほど若い家重に対し、田沼を史実通りの年齢にすると家重の2歳ほど下になりますので、これは妥当なところだと思います。

田沼意次(たぬまおきつぐ)=龍

モデルは江戸幕府中期の老中をつとめた田沼意次

  • 幼名は龍助、父は元紀州藩の足軽→吉宗の将軍就任に伴って旗本となる
  • 腹心に三浦庄司(庄二)という名の用人がいた。(お次のモデル)
  • 大奥の人心を掌握していた
  • 平賀源内のことを気に入っていて、長崎の出島に遊学させたこともあった
  • 米重視の吉宗、金重視(重商主義)の田沼とされ、米相場の乱高下に頭を悩ます吉宗を身近で見て、日本に貨幣経済を普及させて問題を解決できないかと考えた
  • 蝦夷地を調べるために幕府の探検隊を作った
  • 御種人参(国産化に成功した朝鮮人参)の座をもうける
  • 印旛沼の干拓と新田開発の計画を進めていたが、職を解かれてしまったので志は遂げられなかった
  • 田沼が「この池に鯉が泳いでいるといいなぁ」というと翌日には池が鯉だらけになっていた
  • 息子意知は城中で旗本の佐野善左衛門に刺される。世間からは世直し大明神と言われた。その動機は賄賂を贈ったのに無視されたから。よしなが大奥ではなんとなく治斉の策略を思わせる匂いがする。
  • 家治の死について、田沼が知り合いの医者を奥医師に薬を出させ、その薬を飲んだ家治が何度も吐いて「これは毒ではないのか?」と言ったので、田沼が家治を毒殺したと松平定信がうわさを流した。
  • 失脚後は財産、江戸の邸宅、所領全てを没収されるという、非常に厳しい処分をうけた

松平定信(まつだいらさだのぶ)=聡子

モデルは寛政の改革を行った老中松平定信

  • 幼少期より聡明で知られていた
  • 田安家を継いだ兄の治察が病弱かつ凡庸だったので、田安家の当主からひいては次期将軍の期待もかけられていた
  • 陸奥白河藩の養子になったのは治斉と田沼が画策したことだったといわれる
  • 陸奥白河藩との養子縁組を画策した田沼を激しく憎んでおり、暗殺も企てていた
  • 天明の大飢饉のとき、節約や適切な救済処置により領内に一人も餓死者と出さなかった
  • 寛政の改革で蘭学を禁じた

徳川家治(とくがわいえはる)=竹姫

モデルは徳川家第十代将軍徳川家治

  • 幼名「竹千代」よしなが大奥では「竹姫」
  • 聡明で、将棋が得意だった。どちらかというと政務からは一歩引いていた
  • 正室五十宮との仲はむつまじく、二女をもうける(長女は早世、次女も13歳で死去)
  • 正室五十宮を重んじ、側室(千保)が生んだ嫡子の家基を生母ではなく正室の元で育てさせた
  • 正室五十宮は35歳で亡くなる

難題はここから=家治・治済・定信

吉宗三姉妹のそれぞれの娘、家治・治済・定信は、家治が将軍に就任後、先代家重の遺言により田沼が老中になって間もない時期にそれぞれの年齢が明言されています。

家治・・・30才(今年30になると書いてあるのであるいは29歳)
治済・・・20才(産後間もない、家斉を生んだ直後?)
定信・・・15才

です。(ちなみに史実では家治が30歳の時、治済15歳、定信7歳です。)
この年齢紹介の時期を田沼老中就任の直後(あるいは翌年)にすると、治済が20歳で生んだ家斉が史実より14歳も年上になってしまいます。そうすると、史実通りにいくと家斉は将軍就任時は27歳。絵からするととても不自然な気がします。さらに浅間山の噴火、天明の飢饉、新大橋と永代橋が流される洪水など、取り入れられているエピソードと史実の年代が合わなくなってしまいます。

これを解決する方法として、非常に安易ですが「もう物語はよしなが世界独特の歩みを始めた」と思うことにしました。第一巻の水野からしばらく、登場人物は実在の人物ばかりでしたが、家重編の芳三あたりから、青沼、伊兵衛、喜助、黒木(黒木についてはモデルがいそうな気がするけど)等オリジナルキャラも登場したことだし、物語も千代田のお城を飛び出して赤面疱瘡の根絶VS大奥(あるいは幕府)の構造になってきたことでもあります。ですからここからは年表にこだわらず、史実から借用したエピソードを紹介するだけにします。まだ未完のよしなが大奥ですが、この先また年表を作れるようになったら、またご紹介します。

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東京在住50代、ウォーキング、御朱印集め、写真撮影と現像、70年~80年代の少女漫画(りぼん・別マ派)、中国語学習などが趣味。
遠くない将来に愛媛に移住して下宿屋と海の家を営みながら四国八十八か所巡りをしようと画策中。

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