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よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=綱吉編③柳沢吉保=でも少し触れましたが、柳沢吉保と綱吉についてはとかく世間にアレコレ言われていたようで、それは綱吉の死にも及びました。
そしてこれらのアレコレの出所ですが、大体以下の3つのようです。

1、三王外記(さんのうがいき)

著者は訊洋子となっていますが、これは太宰純(春台)=江戸中期の儒学者といわれ、綱吉、家宣、家継の三人の将軍を「三王」として、その時代のできごとを漢文で書いてリアリティや重々しさを出そうとしていますが、内容はまったくのゴシップとされています。娯楽読み物といったところでしょうか。柳沢の妻は綱吉からの拝領妻で、柳沢の息子である吉里は実は綱吉の子供であると書かれています。他にも生類あわれみの令は、綱吉が僧隆光のお告げを盲信して出したものだというエピソードの出所にもなっているようです。

2、護国女太平記(ごこくおんなたいへいき)

著者、年代は不詳ですが、こちらは「三王外記」とは逆に、柳沢吉保が己のあくなき権勢欲から自分の妻を綱吉に献上したとのストーリー。果せるかな献上妻は綱吉の子(吉里)を産み、吉保は綱吉にこの子を将軍にさせるよう決意させる。しかしその決意を綱吉から打ち明けられた鷹司信子は、そうはさせじと夫であり将軍である綱吉を懐剣で殺害し、自分も追って自害、身を以て国を危うくさせる柳沢の野望を打ち砕き日本と将軍家を守った(だから「護国」)というおはなし。この護国女太平記は登場人物も実名ではなく、あくまでも「おはなし」というスタンスに立っています。

3、翁草(おきなぐさ)

著者は神沢貞幹という元京都町奉行与力の文筆家。なんと全200巻の超大作。この中に御台所による綱吉殺害についての記述があります。殺害の理由については上述の「護国女太平記」に準じます。その殺害が行われたのが大奥にある「宇治の間」と呼ばれる部屋で、これは宇治の茶摘みを描いた襖絵があることから宇治の間と呼ばれました。そして家綱殺害現場になった宇治の間は以降開かずの間になり、幾度かの火災による焼失→再建の蔡にはこの宇治の間も開かずの間なのに再建され続けてきたとか、12代将軍家慶がこの部屋の前で黒い着物を着た老女を見たが、他の人間には見えなかったことから、それは綱吉殺害の際に手伝った老女の亡霊であり、それがきっかけで家慶は死の床に就くことになったとか、そういったことが書かれているそうです。(この老女のくだりは明治時代に元大奥女中の話をまとめた三田村鳶魚の「御殿女中」という著書に書かれているとも)

さて、よしなが大奥における綱吉の死は、麻疹発病→御台所信平の行き過ぎた恋慕による綱吉殺害未遂→柳沢吉保がとどめを刺す、というオリジナル設定になっています。信平にせよ柳沢にせよその理由は綱吉を愛する過ぎるあまりという、野心も大義も正義もない極めて個人的な感情的な、何ともトホホなものでした。いっそ無くてもいいくらいに。

現在(2015年5月)よしなが大奥は11代将軍家斉の時代ですが、3代家光から始まるこの物語の中で、綱吉時代はなんだかスッキリしない印象を持つのは、この綱吉の死を巡る一連の事件の理由づけが、どうにも後味がよろしくないからなのかもしれません。

綱吉時代のよしなが大奥についての考察は、以下のページもご覧ください

よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=綱吉編=
よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=綱吉編②牧野成貞事件=
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