発売になったばかりの大奥12巻。かなり意外な展開でしたね。治済のモンスターっぷりと、それを恐れながらも何とかしようとする家斉と御台所茂姫の間に何か起こる予感はその前からありましたが、家斉・大奥となるとどうしても感応寺事件とか谷中延命院事件とか中野石翁とかお美代の方とか、そちらの方がクローズアップされるのかな、と思っていました。ところがお美代の方なんか申し訳程度に1コマしか出てこないし、家斉の絶倫ぶりや贅沢三昧も実は・・・のオチでございました。
大奥家斉編は11巻・12巻に掲載されています。

そしてよしなが大奥のフィクションとノンフィクション=家重・家治編=年表の作成に行き詰ってしまったと書きましたが、どうやら家斉編から復活できそうなので、この項には史実と比較した年表を挙げておきますが、まずは恒例のエピソードの仕訳をご覧ください。

よしなが大奥に生かされている設定

徳川家斉(とくがわいえなり)=竹千代→豊千代

モデルは徳川家第十一代代将軍徳川家斉

  • 16人の側室がいて、男子26人、女子27人をもうけた。その絶倫さからオットセイ将軍と言われた
  • 50人を上回る子供のうち成人したのは半分だったが、幕閣はそれらの子供達の縁組先に頭を痛めた。
  • 正室の茂姫は薩摩島津家の姫で家斉が次期将軍に決まる前に婚約していたが、婚約期間中に家斉が将軍になったので、釣り合いをとるために近衛家の養女となった。
  • 将軍職を息子徳川家慶に譲った後も、死去するまで大御所として政治の実権を握り続けていた。
  • 父・治済の存命中は父の言いなりであったと言われる。

徳川治済(とくがわはるなり)

モデルは一橋徳川家第二代当主で十代将軍徳川家斉の父徳川治済(一橋治済)

  • 父は徳川吉宗の四男(よしなが大奥では三女)宗尹、母は側室である武家の細田氏の娘(よしなが大奥では細川家)
  • 一橋家初代当主徳川宗尹の四男だった。長男の松平重昌は福井藩主となったが夭折したため二男の松平重富が次の藩主になった。よしなが大奥では長男のことを端折っているとみられ、さらに作中に出てくる次女の「治之」は夭折した次男仙之助をあてて、名前は五男の黒田治之(後に筑前福岡藩主になった)の物を使っている。
  • 反田沼派の黒幕とささやかれていた。とはいえ、家斉の将軍就任には田沼と共闘していた。これは意次の弟が一橋家の家老だったこともある。
  • 松平定信の老中首座就任には治済のバックアップがあった。御三家に定信を推薦した。
  • わが子を将軍にし、一時は共闘していた田沼派を一掃したことで、江戸時代最大の陰謀家といわれる。家基の死にも関与していたとの見方もある。
  • 将軍尊父の故を以て大御所の称号を与える件は松平定信の反対で無くなった。ただ史実ではこの提案は家斉が希望したこと。(大御所事件)
  • 史実の治済は一橋家の屋敷に住んでいて、空いている江戸城西の丸がので移り住みたい要望があったようだが、これは松平定信に拒否されている。しかしよしなが大奥では江戸城西の丸に住んでいる(幕閣の「西ノ丸で男たちと楽しゅう過ごしている」という台詞がある)
  • よしなが大奥のような晩年でははく、悠々自適の晩年を送った。

夭折した家斉の子たち(よしなが大奥に登場した人物のみ)

  • 長男:竹千代→生母お万の方(よしなが大奥では”お満武”)
  • 四男:敬之助→生母お歌の方(よしなが大奥では”お宇多”)
  • 四女:総姫→生母お志賀の方
  • 五男:敦之助→生母御台所(敦之助と総姫は同じ年に生まれている)

幕閣の人間で実在の人物

  • 青山忠裕(老中)
  • 安藤信成(老中)
  • 堀田正敦(若年寄 天文方を管轄する)

寛政の改革の政策でよしなが大奥に登場するもの

  • 寛政異学の禁(幕府の学問所で朱子学以外の学問を禁じる。全国的に禁じたわけではないが、他の学問の衰退気運をよんだ)
  • 倹約の徹底
  • 公衆浴場での混浴禁止
  • 出版統制。黄表紙と言われる娯楽本作家や版元を処罰した
  • 長谷川平蔵の提言により石川島に罪人の更生を目的とする施設、人足寄場を設置する。ちなみにこの場所は現在大川端リバーハイツなどのタワーマンションが建つ場所。

蘭学者・学者で実在の人物

  • 西川正休・・・父(西川如見)が長崎の天文学者で、能力を買われ幕府天文方に招聘された
  • 渋川 正陽・・・天文方家系の渋川家八代目
  • 岡田甫説・・・よしなが大奥では杉田玄白が「弟子筋」と紹介している。杉田の弟子大槻玄沢が開いた蘭学塾”芝蘭堂”の塾生。
  • 大槻玄沢・・・蘭学者。蛮書和解御用の翻訳者
  • 高橋景保・・・天文方高橋家2代目。日本語・漢語・満州語・オランダ語辞典を作っている。父の至時が若年寄堀田正敦に命じられた「ラランデ暦書」の翻訳を父の死後引き継いだ。シーボルト事件で獄死。

日蘭辞書「ハルマ和解」

作中に出てくる日蘭辞書「ハルマ和解」。史実では岡田甫説もその制作者の一人らしいのですが、翻訳書設立当初高橋の話を聞いた黒木が「昨年ハルマ和解もできたことだし」と言っていたり、青沼の書付を見た部下たちが「ハルマ和解を見てもわからぬ語句の微妙な意味の違い、、、」と言っていたり、まるっきりの他人事みたいな言い方になっていました。
おまけ:幕府天文方の俸禄は100俵+5or10人扶持で、黒木が言っていたのと同じですね。

赤面疱瘡に関連することについてはよしなが大奥のフィクションとノンフィクション=人痘・牛痘・熊痘=もあわせてご覧ください。

神田祭について

神田祭は山王日枝神社の山王祭りと並んで「天下まつり」といわれ、幕府から費用の援助を受け、江戸城内で将軍の見物に供した。(将軍が祭りを見物するのを”上覧”という)元禄の時代に桂昌院が見物したとの記録がある。
今も受け継がれる神田祭。今年は遷座400年の記念すべき年で、面白い写真が撮れたので、よろしければ遷座400年記念の神田祭で12年ぶりの船渡御を見ることができたもご覧ください。

おまけ:たまにはちょっとつっこんでみる

赤の熊様の村、最初に源内が発見したとき小さかった”お嬢”も隠密が訪れた時にはすっかり年をとっていますね(背負っているのは孫でしょうか?)。それにしても源内もそうだし黒木もそうだし、何でこの村の所在地を次に探しに行く人に教えなかったんでしょうね。まずそこをあたってみれば一番可能性が高かったのにね。

黒木の年齢、青沼と同じくらいの年だとすれば亡くなった時は68歳、五つくらい年上だとしたら73歳。そのころ青史郎は16歳くらいなので50代の時の子供となりますね。伊兵衛も30人くらい子ども作ったとか。家斉のことオットセイとか言ってる場合じゃないと思います。

年表=家斉将軍就任から黒船来航まで

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次の13巻が出るのが待ちきれないので、私なりに今後の予想をしてみました。
よしなが大奥13巻のストーリーを大胆予想!①=13代将軍家定と天璋院篤姫=
その他のよしながふみ作「大奥」についての考察