よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=家重・家治編② 平賀源内=

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よしなが大奥のフィクションとノンフィクション=家重・家治編=でご紹介しきれなかった平賀源内について、フィクションとノンフィクションを考察していきます。
巷間、平賀源内について知られていることといえば

  • 鬼才・天才、日本のダ・ヴィンチ。学者で作家で発明家
  • 「土用の丑の日にうなぎ」の発案者、日本初のコピーライターと言われる
  • オランダ伝来のエレキテルを模造制作した
  • 同性愛者で歌舞伎役者の瀬川菊之丞との仲は有名だった

あたりでしょうか?その他にもエピソードに事欠かない平賀源内。よしなが大奥でもその多くのエピソードを取り入れています。

よしなが大奥に取り入れられた平賀源内のエピソード

  • 父は藩の蔵番だった
  • 幼少のころ、掛け軸に細工をして酒を飲むと顔が赤くなる「御神酒天神」を作った
  • 田村 藍水に本草学(漢方医学)を学んだ
  • 遊学・江戸行などを行うため、仕官御構(しかんおかまい、他藩への出仕ができなくなる)扱いとなって藩を辞した
  • 妹に婿養子を取らせて家督を放棄した
  • 諸国産物の博覧会を主催した
  • 火浣布を発明した
  • 竹とんぼを最初に作ったといわれている
  • 風来山人というペンネームで戯作(通俗小説)を書いていた。著作「根南志具佐」、「放屁論」、「長枕褥合戦」
  • 杉田玄白と親交があった
  • 後にエレキテルは偽物が出回った(使用人に情報を盗まれたとも)
  • 晩年はキワモノ扱いされた
  • 墓の碑文は杉田玄白によるもの「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常(破天荒な人よ、常識を嫌い型破りな生き方だったとはいえ、嗚呼、なぜその死までも普通ではないのか=アカジン訳)」

鰻丼の話し

よしなが大奥だとうな丼芳三が考案して源内が広めたようになっていますが、当然ながらこれはフィクションです(そもそも、芳三がよしなが大奥オリジナルキャラですからね)。

鰻丼の来歴については、とある役者が鰻屋に出前を頼むのに「鰻が冷めないようにご飯に挟んで持ってきてくれ」と注文したとか、ある人が渡し船の待ち時間に鰻を食べようとしたら船の出る時間になってしまったので、丼飯の上にかば焼きを乗せて取りあえず船に乗って、後刻おもむろに食べようとしたら鰻がご飯で蒸されていておいしかったとかの諸説があります。

平賀源内の死

史実の平賀源内は小伝馬町の監獄で亡くなりました。

小伝馬町の監獄跡は現在寺院で、江戸三十三観音の札所のひとつになっています。

昭和新撰江戸三十三観音霊場5番札所∥新高野山大安楽寺
名称 新高野山大安楽寺 ふりがな しんこうやさんだいあんらくじ 住所 東京都中央区日本橋小伝馬町3-5...続きを読む

その死因は破傷風だそうです。晩年の源内は世間の逆風や天才ゆえのエキセントリックさも相まって、多少心を病んでいたと伝えられています。

ある大工工事の計画書を職人に盗まれたと思った源内は、逆上してその職人を殺してしまいます。その罪で御縄になり、小伝馬町の監獄に収監されてしまうのです。しかしながら、問題の計画書は盗まれてはおらず、源内の帯の間から発見されました。

ただ、源内の葬儀は遺体がないまま行われたので、懇意にしていた田沼意次がこっそり源内を脱獄させ匿ったとの説もあります。こんな風説が広まるというのは、天才・鬼才で多くの発明品やエピソードを持つ平賀源内が、人々に注目され愛されていたことの証かもしれませんね。

よしなが大奥でも史実でも、源内は不本意で悲しい亡くなり方をしたんですね。家治時代の終わり、田沼、源内、青沼…、志半ばで逝った人たちの無念を黒木がどしゃぶりの雨の中で代弁する件は、よしなが大奥ここまでのストーリー中一番シンパシーを呼ぶ場面でした。

よしなが大奥では、源内はその目で赤面疱瘡の流行が終息することを見ることはできませんでした。
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東京在住50代、ウォーキング、御朱印集め、写真撮影と現像、70年~80年代の少女漫画(りぼん・別マ派)、中国語学習などが趣味。
遠くない将来に愛媛に移住して下宿屋と海の家を営みながら四国八十八か所巡りをしようと画策中。

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