山門前の石灯籠。真ん中は新しいものでしょうが、台座と傘は年を経て苔むしています

山門前の石灯籠。真ん中は新しいものでしょうが、台座と傘は年を経て苔むしています

比叡山の麓、里坊が立ち並ぶ日吉大社の参道から少し横に逸れたところに西教寺はあります。ここは比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口にあたります。

西教寺は比叡山延暦寺、三井寺と並び、天台系の三派のうち天台真盛宗の総本山です。天台宗は密教ですが、天台真盛宗はご本尊が阿弥陀如来であることからも想像がつくように「南無阿弥陀仏」の念仏を重視するそうです。

その創建は聖徳太子と伝えられ、その後慈恵大師良源上人によって念仏道場となり、室町時代に真盛上人が再興し不断念仏の道場としました。

戦国時代、荒廃した京都の法勝寺を憂いた時の後陽成天皇の綸旨により、法勝寺が末寺である西教寺に合併されました。その際法勝寺伝来の仏像、仏具等も西教寺に移され、寺名も兼法勝西教寺となりました。

織田信長による比叡山の焼き討ちで西教寺も被害を受けました。その後この坂本の地を治めたのが明智光秀で、自ら檀徒となり復興に力を注ぎました。その一端として現在に残っているのが総門と鐘楼で、総門は坂本城城門を移築したもの、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。

伏見城から移築された客殿では狩野派の襖絵や石組みが四季折々それぞれ美しい庭園を鑑賞することができます。

山門へ続くまっすぐな道。雨で濡れた落ち葉がアクセント

山門へ続くまっすぐな道。雨で濡れた落ち葉がアクセント

みずみずしい色合いの苔

みずみずしい色合いの苔

宝物庫前にあった石像

宝物庫前にあった石像

 

西教寺には「身代わりの白手猿」の伝説があります。(以下引用)

室町時代の明応2年(1493)坂本で徳政一揆が起こった時、その首謀者が真盛上人と誤解した山門の僧兵が西教寺に攻め入った。しかし境内には人影がなく、ただ鉦の音だけが本堂から聞こえてきた。それを聞いた僧兵が本堂に駆け込むと、そこには一匹の手白の猿が上人の身代わりとなって鉦をたたいていた。日吉山王の使者である猿までが上人の不断念仏の教化を受けて念仏を唱えていることに感じ入った僧兵はその場を立ち去ったという。
(引用元http://www.saikyoji.org/ryakuengi.html#syuso)

ご本尊の隣に、この猿の木像が安置されているほか、山内の瓦にもお猿さんがいました。表情が可愛らしくて、何枚も写真を撮ってしまいました。

瓦の上のお猿さん

瓦の上のお猿さん

瓦の上のお猿さん。明るめに仕上げました

瓦の上のお猿さん。明るめに仕上げました

瓦の上のお猿さん。こちらは濃いめにしました

瓦の上のお猿さん。こちらは濃いめにしました

西教寺データ

  • 名称 戒光山兼法勝西教寺
  • ふりがな かいこうさんけんほっしょうさいきょうじ
  • 住所 滋賀県大津市坂本5丁目13-1
  • 宗派 天台真盛宗(総本山)
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 公式サイト http://www.saikyoji.org/index.html
  • 札所 神仏霊場滋賀16番/びわ湖百八霊場湖西11番

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御朱印

念仏道場らしく「不断念仏」と書かれます。

真盛上人の信条である「不断念仏」が記されています

真盛上人の信条である「不断念仏」が記されています