昭和新撰江戸三十三観音霊場14番札所∥神霊山金乗院慈眼寺

昭和新撰 江戸三十三観音札所

神霊山金乗院慈眼寺

  • 名称 神霊山金乗院慈眼寺
  • ふりがな しんれいざんこんじょういんじげんじ
  • 住所 東京都豊島区高田2-12-39
  • 宗派 真言宗醍醐派
  • 本尊 聖観世音菩薩

金乗院慈眼寺のある豊島区高田は、江戸時代砂利が採れたので「砂利場村」と呼ばれていたそうです。この砂利場村に数社あるすべての神社の別当寺(神社の管理をするお寺)をつとめたのがこのお寺です。開創当初は現在も中野にある宝仙寺の末寺でしたが、後に護国寺の末寺になりました。

このあたりは曲がりくねった細い坂の多い地域で、こじんまりとした住宅が建て込んでおり、急坂を上って振り返ってみると思いがけなく景色が良かったりと、昔から人が生活していた「町」の雰囲気があります。特にこの金乗院の山門前は「宿坂(しゅくざか)」と言って鎌倉時代「宿坂の関」という関所があったらしいです。

山門

山門。戦災を受けたものの幸いにして一部焼け残った

ご本尊様の聖観世音菩薩は秘仏で、7センチとかわいらしい金銅づくりの御姿だそうです。御朱印をいただきに入った寺務所には小山の上にある観音堂が描かれた「江戸名所図会」が掲示されていました。

本堂。戦災で焼失後、昭和46年に再建、平成15年に全面改修

本堂。戦災で焼失後、昭和46年に再建、平成15年に全面改修

本堂の扁額

本堂の扁額

関東36不動霊場、江戸五色不動の「目白不動」の方が名通りが良いようですが、目白不動は元々別の場所にあったお寺が戦災で焼失したためこちらに移したものです。ただし、いただいた由緒は目白不動尊がフィーチャーされており、奥付も「目白不動 東豊山 新長谷寺 金乗院」と記され、庇を貸して母屋取られる感を感じてしまうのは私の心が狭いからなのでしょうか。。。

倶利伽羅不動庚申1666年のもの

倶利伽羅不動庚申1666年のもの

倶利伽羅不動庚申1666年のもの

倶利伽羅不動庚申1666年のもの

倶利伽羅不動庚申1666年のもの

倶利伽羅不動庚申1666年のもの

目白不動に関しては「関東36不動霊場」のカテゴリでご紹介予定です→アップしました関東三十六不動霊場十四番札所∥神霊山金乗院慈眼寺

由緒

由緒

由緒

由緒

ご朱印

神霊山金乗院慈眼寺ご朱印

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