昭和新撰江戸三十三観音霊場13番札所∥神齢山悉地院護国寺

昭和新撰 江戸三十三観音札所
山門の扁額

山門の扁額

  • 名称 神齢山悉地院護国寺
  • ふりがな じんれいざんしっちいんごこくじ
  • 住所 東京都文京区大塚5-40-1
  • 宗派 真言宗豊山派
  • 本尊 如意輪観世音菩薩
  • 公式サイト http://www.gokokuji.or.jp/

初代山主の亮賢僧正は、徳川家光の側室お玉の方が将来将軍の母になると予言したそうで、果してお玉の方が生んだ男子は五代将軍綱吉となりその予言が正しく的中したことで桂昌院(お玉の方落飾後の名前)の帰依篤く、綱吉に頼んで護国寺を建て亮賢を迎えます。

ヤマトタケルの時代まで遡ってはじまる根津神社でも触れましたが、私の愛読するよしながふみ作「大奥」は隆光という僧が上記の予言をしたとなっています。隆光は生類憐みの令のきっかけを作った(綱吉に世継ぎが生まれない原因についての隆光の言葉を桂昌院が曲解した)人ですが、よしなが大奥ではさらに護国寺も亮賢ではなく隆光が山主となっていました。登場人物を整理するためによしなが大奥では二人の逸話を合わせて隆光に統一してしまったのでしょうね。

護国寺を訪れたとき、「うむ、ここで綱吉を苦しめることになる父の重すぎる愛に関するエピソード(生類あわれみの令のくだり)が展開されたんだな」と一瞬感慨にひたってしまいましたが、あぶないあぶない。それはよしなが大奥の中のオナハシでした。

将軍生母の発願による寺院だけに、ご本尊の如意輪観音像は天然琥珀づくり、堂宇の建築も当時の技術の限りを尽くした立派なもので、幸いにも関東大震災や空襲にも耐え今もその姿見て当時の将軍の威光をうかがうことができます。新目白通りからまっすぐ伸びる道路も護国寺との一体感があり、威容を増しています。
壮大な観音堂の中には天井絵や奉納絵、仏像など見応えのあるものがたくさんあります。

山門からまっすぐ伸びた道路

山門からまっすぐ伸びた道路

山門

山門

不老門

不老門

観音堂(本堂)

観音堂(本堂)

護国寺パンフレット

護国寺パンフレット

ご朱印

神齢山悉地院護国寺ご朱印

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